渋谷のシンソウ

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渋谷のシンソウ第一話

現在の円山町界隈。昭和以前は荒木山と呼ばれ、花街としてつい最近まで栄えていました。

今回は、そんな花街としての円山町を知る、高橋すみこさん、中島すみえさん、鈴木たもつさんに、当時のお話を伺いました。

関東大震災から栄え始めた

聞き手:いつ頃から荒木山花街は栄え始めたのでしょうか?

中島:あのね、大正十二年の震災で下町が焼けて、それで下町の人がこちらのどんどん山の手に見えて、それから割りと栄えた。

高橋:ここら辺は震災で焼けなかったのよ、山の手は。家は揺れたけど潰れなかった、この道玄坂上は。関東大震災は私が三歳の時だけど、家は残ったわけ。うろ覚えなんだけど、話に聞くと家は潰れなかった。ぐらぐらは来ましたよ、当然。焼けたり潰れたりなんかはしなかった。だから下町の人がどんどん渋谷、世田谷に流れてきた。

中島:良く震災から栄えたんだって言うわよね。

荒木山花街の最盛期

中島:あたしが子供の時にはね、お客様がうちにいらっしゃるの。そうするとね、ご自宅の奥さんから電話が掛かってくるの。そしてね、何々様が今日の何時に興しになるということでございますから、旦那様にそう申し上げて下さいって奥さんから電話が掛かってくるの。そうするとね、家にいる旦那様がご自分のお宅までいらして、そしてまたうちに帰ってらした。そういうのを居続けというの。そういう時代があったの。

高橋:二日か三日料亭に泊まり込んでるわけ、旦那様は。自分ちに帰らないわけ。

中島:結局、自分の家だと羽織袴できちんと座って居なきゃならいでしょ。こういうところにいればね、浴衣かなんか着て「ほいほい」って言ってればいいからね。

高橋:良い時代よね、男性盛りの時代よ(笑)。

中島:よく絵を描いたり何かすると、「あら澄江ちゃん何してるの?」なんて言ってね、「絵描いてるの」なんて言うと側にいてね、あたしなんて本当に子供で何も知らないで以て、なあさんという御方で、「なあさん、いつまでもここにいないでね、お家に帰らなくちゃいけないってみんなが顔見るの飽きたって言ってたわよ」って「あー、嫌われちゃあお仕舞いだなー」なんていってまだ居るんですもの。

高橋:それで芸者連れて歌舞伎行ったり、酉の市行ったり。まあ芸者にちゃんと一日いくらと玉代とか花代つけてね。

戦前は学生も遊びに来ていた

高橋:戦前はさ、学生さんがよく来たじゃない。

中島:うん、学生お断りってね

高橋:学生さんがよく遊びに来てね、土曜って言うと学生さんでいっぱいだったもんね、ホントに。

高橋:慶應の学生とか早稲田の学生とか。慶應の人が多かったね。

鈴木:慶應ボーイはね、やっぱりプレイボーイだから(笑)

高橋:あのね、結構遊んだの学生さん。一晩泊まっていくわけ。一晩五円で泊まって、女の子呼んで。学生さんって言っても今の学生さんと違うよ。気持ちの良い学生さんで、芸者さんに学生だからもてるじゃないの、若いから。おじいちゃん相手にしてるより若い方がいいもんね

中島:そうそう、大変だったもんね?。

鈴木:笑

高橋:今考えてみるとまるで夢のようね。

中島:そうね、鉛筆削ってね、その側で一生懸命論文書いてたわよ。

高橋:そういう時代もあったのよ。

中島:でも大体そういう人が、会社の上部の人にほとんどなってらしたわね。

高橋:だからね、遊びも知ってる人、あらゆることをしてる人は偉くなってるの。あんまりカチカチなのは駄目なの。